本日は、昨日立てた予定通りに過ごした一日でした。
その中で、痛快だったのがゼロックス・スーパーカップ。
ガンバ大阪Vs浦和レッズの試合は4-0でガンバの圧勝。
強風の国立競技場での試合でした。
小生のガンバ応援歴は実は長いのです。
1992年にJリーグ発足した時に、どこか御贔屓チームを決めようと思い、
ユニフォームが気に入ったのと、関西のチームだったそれだけで my favoriteに
決めました。
初代監督はあの世界の釜本、FWに永島、松波やキーパー本波・・・・
そこそこのタレントはいたのですが、長らく良い成績はなかったのであります。
やはり弱いチームはあまりTV放映もなく、少しづつ冷めていたのです。
ところが最近めきめきと地力をつけ、また楽しい日々を送っております。
そのうえ、長女がいつの日からかサッカーフリークに、御贔屓チームはなんとガンバ大阪。
DNAの成せる業なのか・・・・
1992年に購入した、チームキャップ(帽子)は、今や彼女のものなのです。
2005年のナビスコカップ観戦に、国立競技場に2人で向かいました。
Jリーグ初観戦です。
0-0スコアレスで、PK戦になり遠藤選手が痛恨の失敗。
ジェフ千葉に負けてしまいました。
日帰りの為、失意の東京駅のホームで新幹線を待っていたところ、
その遠藤選手が目の前を通り過ぎるのです。
長女はその遠藤選手にサインをもらいました。
45分ハーフX2 延長15X2 120分間フル出場し、
自分のミスで負けてしまい、身心とも疲労困憊だったと思いますが
いやな顔ひとつせず、サインをしてくれたのです。
長女は大感激、親爺もその娘の喜ぶ姿を見てにこにこだったのです。
"2005年 ナビスコカップのハーフタイムでのガンバボーイです。”
昨年は、大阪万博競技場、京都西京極競技場と、2度観戦。
万博競技場の、ゴール裏の観客席は立ち見です。
腰ぐらいの高さのバーがあり、それを使いながら歌え、踊れの大騒ぎです。
45歳の親爺にはかなりヘビーな応援スタイルですが、
思わずラテンの血が騒いでしまうのです
西京極は懐かしの場所です。
立命館Vs同志社の野球を何度も見に行った思い出が蘇りました。
1回生の春のシーズンで同志社に勝ち、関六の優勝を決めた日は
クラスメイトと大騒ぎをして、カラオケで校歌を歌い、
鴨川を歩いて渡ったような覚えが微かにあるのですが・・・・
酔っておりました。若気の至りで御座います。
気分を良くしたところで、今日はおしまいなのです。