この旅、果もない旅のつくつくぼうし
何時終わるともわからない旅、何処が自分の居場所なのか探し続ける旅、
その旅の寂しさを紛らわしてくれるのは折々の月や花や鳥や虫、
一人になりたいのか、一人でしか生きていけないのか・・・・
旅の醍醐味の一つは、家に帰り着いた時の安堵の気持ちなのです。
山頭火は生涯その安堵の一瞬を探し続けていたのかもしれません。
だまって今日の草鞋穿く
行乞に出るのも気が重い、でも今までの人生も背負いきれないから
自分の逃げ場所を行乞に身を置き換えるしか仕方がないのかもしれません。
鴉啼いてわたしも一人 鴉=からす
鴉の黒は山頭火にとっては漆黒の闇そのものかも知れません。
日本人は鴉を不吉なものとして捕らえますが、古来中国では
太陽の化身として考えられていたそうです。
太陽はすべての自然を支配する、絵などに太陽を描くことは不遜なことであったとされ
鴉を3本足でかくことで太陽を表したそうです。
また中国大陸の奥地の民族には、死者を祭るのは山に風葬にし、頭蓋骨を開いて
おいたそうです。その人の心、精神を天に運ぶのを鴉に託すのだそうです。
分かり易く言えば、脳みそを鴉に食べてもらい、天に魂を運んでもらおうと考えたのです。
山頭火を読めば読むほど、知れば知るほど重たい気持ちになりますが
現代を生きる我々は、魂の安寧を求め続けて漂泊の旅を続けた彼が
見つけてくれた季節の移ろいの優しさに心託してしまえばいいのかもしれません。
何はともあれオイラは山頭火が好きです。
機会があれば、是非山頭火の世界に心遊ばせてみてください。